【コラム】『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~

第86回 60年刺さった棘(トゲ) 2020年12月16日配信

11月に耳の手術を受けた。それも両耳である。3年前に心筋梗塞でカテーテル治療を受け、5か月前は白内障手術、今回は耳の手術と、このところ頻繁に病院のお世話になっている。

自分ではいたって元気なつもりだが、やはりこの歳になると身体中の部品(器官)が劣化し、メンテナンスが必要になってきたのだろう。それにしても近頃は病院通いが忙しい。

さて、このコラムのアシスタントからは「もう病気ネタはやめてください」などと言われているが、毎回書きたいことを書かせてもらっているので、今回はやっぱり耳の話をしよう。

正式な耳の病名は「真珠腫性中耳炎」。
初めてこの病名を聞いたとき「腫」の文字に多少ビビッたが、どうやら腫瘍などではなく、鼓膜の窪みに耳垢のようなものが溜まりそれが丸くなって真珠のように見えるところからこの名称が付いたそうである。

放置しておくと症状が内耳まで到達し、細菌感染、めまい、顔面神経麻痺などを引き起こす場合があるらしい。

この病気で一番困るのは音が聞こえにくいことである。いわゆる難聴というヤツだ。と言っても、それほどひどくはなく、会議や会話の際に多少聞き取れないことがあったりする程度で、補聴器があれば日常生活であまり不便を感じたことはなかった。

しかし、風邪をひいたりすると耳の中に何か詰まった感じがして聞こえが悪くなったり、お酒を飲んだ翌日は炎症や耳垂れなどが起こり一日中気持ちが晴れないこともたびたびあった。自宅ではテレビを観る際ボリュームが大きくなりがちで、奥方から「もう少し音を下げて!」と再三苦情を受けていた。

思い起こせば、始めて耳の病気(中耳炎)にかかったのは小学生の頃である。かれこれもう60年近くもこの病気と付き合っている。

私は南房総市という千葉県の最南端にある小さな町で生まれ育った。小さい頃から夏になると自宅近くの海へ行き、ゴーグルを付け、手に貝はがしを持ち、そして腰には貝入れ網を結んで、素潜りでサザエやアワビ、エビ、ワタリガニなどを採って過ごした。

近所の仲間と5メートル近くもある岸壁から海に飛び込んで遊んだこともある。夏休みなどはまさに海の河童だった。

一度海の中に入るとだいたい1~2分ぐらいは息を止めて潜ることができた。しかし潜るたびに耳の中から「ピー」という音が鳴っていたのを覚えている。今思えば、その頃からこの病にかかっていたのではないかと推測する。

中学にあがる頃になると、本格的に中耳炎が発症してプールで泳ぐことや海に潜ることを医者から完全に止められてしまった。以来、私は水泳から生涯見放されてしまったのである。

それから30代の頃、都内の病院で慢性中耳炎の手術を受けた。そのときは片耳のみで1か月以上も入院した。働き盛りの大の大人が1か月もの入院、それはとても辛い時間だった。

ここ数年、定期的に大学病院へ通っており、色々診てもらっている。耳はその一つだ。

ドクターからはもう治療だけでは完治しない、本格的に手術を受けることを考えたらどうかと助言をいただいていた。今は医療技術が進み両耳の手術でも5時間ぐらいで終わる、あとは手術前後2~3日の治療と検査のみで退院できるとのことだった。

1週間ぐらいで済むならということで、手術を受けることを決心したのである。また長年患っていたこの持病を克服したいという強い決意のようなものが自分の中で芽生えていたからでもある。

入院したのは11月初め。病室に入ると、看護師さんが次から次へと部屋に訪れ、やれ今飲んでいる内服薬の確認とか、手術日の流れ、麻酔科からの説明、さらには手術に関する同意書など、矢継ぎ早に手続きが進んでいった。

最後には点滴をして、どっぷりと日が落ちた頃、部屋の窓の彼方には昔登った筑波山の山陰が秋の夕日に照らされてうっすら見えていたのを覚えている。

入院から3日後に手術の日を迎えた。予定時刻は11時だったが前の手術が遅れて14時過ぎになった。紙製のパンツを履き、手術着1枚で待っていると、「時間ですよ!」と看護師さんから声がかかり歩いて手術室まで向かった。

「いよいよ来たなぁ……」、と独り言を言いながら手術室に到着、扉が開いた途端、かなりビックリした。

そこはまるで宇宙船にでも乗り込んだかのように何十台もの丸いランプが強烈な光を放ち、私を待ち受けていたのである。

看護師さんから「ベッドに寝てくださ~い」と促されて手術台に上がるとここでもビックリした。なんとこのベッド、半透明の浮袋のような形状をしていて、温水でも入っているかのように温かいのである。

ウォーターベッドにでも寝たようなフィーリングに、思わず「気持ちいい!」と声を発してしまった。これなら以前の、心筋梗塞のときのように寒さが原因で肺炎を併発することもないだろうと、かなり安心した。

頭上からは麻酔用の酸素マスクが下りてきて口元にセットされた。同時に5人ほどの看護師さんが一斉に私を取り囲み、点滴を開始したり、何かのモニター機器を装着して準備を整えたのである。

そして「そろそろ眠くなりますよ~!」と告げられた途端、私の意識はなくなり、タイムカプセルのように手術が終わった5時間後にタイムスリップしたのである。

手術が終わると、その後は看護師さんに手を添えてもらい点滴を持ちながら自分の部屋まで戻った。鏡を見ると頭の周りにはぐるっとサポーターが装着されていた。右耳の裏側にはメスで切開された部分を覆うガーゼが、左の耳は穴の中だけに小さなガーゼがそれぞれ取り付けられていた。

この日の最後には執刀医から経過説明があり、長い1日が終わったのである。

術後の結果はまだ診察を受けていないのでわからないが、たぶん良くなっているような感じがする。テレビのボリュームも以前より下がった。

確かなことは、この60年間刺さりっぱなしになっていた棘(トゲ)のようなものがようやく取り去られたことである。同時になんだか昔の自分の身体に戻れたような気もして、今はスッキリとしている。

5時間という長丁場の手術を執刀していただいた2名のドクターと大勢の看護師さんには本当に感謝している。

コラム読者の皆様、2020年もコラムをお読みいただきありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

株式会社インターコム
代表取締役会長 CEO 高橋 啓介


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