【コラム】『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~

第52回 私の相撲史 2018年2月21日配信

私は幼い時から大の相撲ファンである。
小学校から帰ってくると、毎日のように隣の理髪店でテレビ中継を見せてもらったものだ。

一番好きだった力士は横綱の(初代)若乃花。
土俵の鬼と恐れられ、小兵ながらどんな相手にでも真正面から立ち向かうあの力強さは、幼心にも大横綱の風格を感じた。若乃花の一番のライバルは、マムシの異名をとった栃錦である。喰らいついたら絶対に廻しを離さないことから付いたあだ名だ。

千秋楽ともなるとこの両横綱の「結びの一番」見たさに、日本中のファンがテレビの前に釘付けとなり、身を乗り出して声援を送る光景が多くの家庭で見られた。

次に相撲ファンを虜にした貴ノ花。
栃若時代が過ぎ去ると、大鵬人気を一気に飛び超えて、私は大関(初代)貴ノ花のファンになった。大鵬は「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語になるほど人気があったが、あまりにも強すぎて、私はストレートに受け入れられなかった。貴ノ花は若乃花の実弟であり、そんな流れで好きになったのかも知れない。

宿敵はあの憎っくき横綱北の湖。二枚目で角界のプリンスとまでいわれた貴ノ花だったが、軽量の悲しさでいつも北の湖に苦杯を喫していた。

昭和50年の春場所、北の湖が12勝2敗、貴ノ花が13勝1敗で迎えた千秋楽の大一番は、ガチンコ勝負の末、北の湖が豪快な上手投げで貴ノ花を破って星を2敗同士にまで持ち越したが、その後の優勝決定戦で今度は貴ノ花が劇的な寄り切りで北の湖を破り、とうとう悲願の初優勝を果たしたのである。

優勝が決まった瞬間、日本中のファンが歓喜し館内には座布団が乱れ飛んだ。一度、この両者の力の入った大相撲を見ていただきたい。

最近ではめったに見られない相撲史に残る大一番である。

優勝セレモニーで実兄の双子山理事長から弟分の貴ノ花へ賜杯が手渡されたときは、「鬼」の目に涙が浮かび、館内は歓喜の渦に包まれた。

しかし、このとき貴ノ花はすでに力士としてピークを越えていた。
しばらくして、ウルフの異名をとるあの千代の富士から屈辱的な負けを喫したときは、心身ともに疲れ果てとうとう引退を表明せざるを得なくなってしまった。

貴ノ花が引退した後、千代の富士は奇しくも貴ノ花の息子、貴花田(現在の貴乃花親方)に負け引退させられる羽目に。貴花田に負けたとき、テレビの前で「体力の限界! 気力もなくなり、引退することにした」と涙ながらインタビューに応えていたのを今でも憶えている。まさに貴花田が父のかたき討ちをやってのけたのだ。

貴花田全盛のころ、一番のライバルはハワイ出身の外国人で初の横綱になった曙である。その前には、日本初の外国人力士で優勝までした人気者のジェシーこと高見山もいた。

このころから相撲界は、米国(ハワイ)、モンゴル、ブラジル、韓国、台湾、北欧などから将来有望な力士の卵をどんどんスカウトし、日本のお家芸である相撲を世界のスポーツへ押し広げ、今日の白鵬や稀勢の里の時代にバトンタッチしたのである。

さて、私が生で大相撲を見たのは両国にある国技館が初めてである。
奥方と2回目のデートをしたときと記憶している。チケットは国技館窓口で当日券を購入した。そこは館内の最後尾で一番高いところにある立ち見の通路だった。チケットは安かったが、あまりにも土俵が遠すぎて、力士の顔や相撲の様子がよく見えなかった。それでも周りから聞こえてくる生の応援合戦やヤジは結構楽しめた。

何年かして2度目は、「桝席」のチケットを予約して友人と奥方と私の3人で観覧した。お土産を食べながら観戦できたのは良かったが、シートが昔の人向けのサイズに造られているようでその狭さには閉口した。

3度目の観戦は私一人だったが、ようやく「砂かぶり」と呼ばれる最高の席で観ることができた。テレビの真正面に映るシートだったので、わざわざ黄色のド派手なシャツを着て、携帯から今すぐテレビを見るようにと実家の母(相撲の大ファン)に連絡したものだ。

「砂かぶり」は土俵の手前から4~5列目ぐらいのところにあって、力士の頭がぶつかり合うと「ゴッ」と鈍い音や、激しい息遣いなどが間近に聞こえてきて迫力満点だった。名前のように直接砂が飛んでくるシートなのかなと思っていたが、そんなことは一度もなかった。本当に良い思い出である。

えっ! 相撲は国技じゃない?

ところで、今回のコラムを書く前まで、私は長年、相撲は国技だと思っていた。毎年国技館で開催されているし優勝すれば天皇賜杯や総理大臣杯も授与される。江戸時代からの長い歴史や伝統文化もあり、「ちょんまげ」も結っていて正装のときは着物だ。

まさに日本を代表する伝統スポーツであり、素人目には誰の目にも国技の様相を呈している。しかし冷静にみればこれらのことはどのスポーツでも同じだ。

調べてみてわかったことは、実際に日本相撲協会は公益財団法人の相撲興行団体という民間の団体であって、残念ながら国技には定められていない。単に国から税制上の優遇を受けているだけのことである。

なぜこんなことを思ったかというと、今回の日馬富士の傷害事件に端を発し、著名なコメンテーター、評論家、評議委員会などから「今の力士は品格や礼儀、礼節がなっていない」とか、また横綱の白鵬に対しては、立ち合いの際に多用する得意のかち上げや張り手に「横綱らしくない、もっと横綱らしい相撲を……」というクレームが起こってきたからである。

横綱なのだから、そんな卑怯な手を使わなくても正々堂々と勝てるのでは、といった勝手な意見である。しかし、このかち上げや張り手は、現行のルールでは特に禁じ手にはなっていない。なので、もしクレームが出るのであれば、相撲協会は、こうした組手が本当に禁じ手なのか、誰にでも納得できる説明をするべきだと思う。

相撲界では未だに親方や先輩が後輩を指導するため暴力に頼る風潮が残っている。相撲が格闘技だからかも知れない。今回の日馬富士の事件もそうだし、何年か前に起こった親方のしつけで弟子を死亡させてしまった事件もそうだった。

しかしその元凶が、力士としての品格や礼儀を作るための基になっている「相撲は国技だから」という間違った認識から生まれているとしたら、いかがなものだろうか?

先述したように、今相撲界は、海外からもどんどん可能性がある若手力士をスカウトしてグローバル化を進めている。最近では新弟子を多く抱える部屋ほど、相撲協会から多額の補助金(米びつ代)が支給される仕組みになっている。

しかし外国人力士がそうであるように、無事に入門を果たしても、言葉の壁や相撲部屋独特の師弟関係などでなかなか馴染めない力士もいる。

言葉もままならない若い外国人の弟子を相手に、指導や教育、コンプライアンスなどがまだ十分行き渡っていない状況にあるにも拘らず、不祥事が起こるたび、「国技の相撲には……」「力士には品格や礼儀、礼節が必要では……」といった中途半端な価値観を押しつけられてもなかなか理解されないと思うのだが……。

相撲ファンを代表して声を大にして言いたい。
「もっと面白い相撲を見せてほしい!」

株式会社インターコム
代表取締役会長 CEO 高橋 啓介


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